好きと愛してるの違いとは?
好きは条件付き
シャチ子、愛してる
私も!毎日お味噌汁作るね!
好きという感情は
誰に対しても思えるものではありませんよね
しかし、一度好きという感情が芽生えれば
その相手に与えたくなります
自然と何かをしてあげたくなるし、優しくなります
それでも時々、お互いの価値観ですれ違いが起こります
このレストラン、美味しかったね。
会計は4000円か。割り勘で一人2000円ね。
え。。(この人ないわ。。)
「好き」の感情はとても気まぐれで
いつ好きじゃなくなるかは自分でもわかりません
ずっと好きでいられる魔法があるなら、かかりたいものです
好きの感情が一旦冷めると
好きの再発が起きるどころか
減点式で嫌なとことが見えてきます
そうなれば優しさを与える事はおろか
縁を切ることを考え始めます
好きには条件があります
好きだからなんでも許す!なんて人も
実は「自分が好きでいる事」という条件があります
好きはあくまでも自分の感情内でとどまり、自分に向けた関心なのです
愛は無条件
このレストラン、美味しかったね。
会計は4000円か。割り勘で一人2000円ね。
はーい。(彼は割り勘派か)
突然、自分に愛があるのか問われる場面に遭遇します
愛する時に、好きなどの自分の感情自体は必要ではありません
むしろ邪道です
必要なのは
相手の事に関心を向ける理性と勇気です
「この人はこういう人か」
というように変化を求めるのではなく
その人をありのままに見るのは簡単な事ではありません。
愛する事は無条件です
つまりそれは、
自分が好きじゃない相手でも
愛することができるという意味を示します
愛する意志があれば
相手の容姿や性格が好きになれなくても
ありのままの相手を受け入れます
愛はロマンチックなものではない
シャチ子、最近料理が手抜きだな
女性は料理が出来て当然だろ
わかった。これからは気をつけるわ
だけど、その言い方は不快だからやめてくれる?
私には感情というものがあるんですよ
今のシャチ子は恋に盲目という感じではないですが
相手が望んでいる事を与えようとしています
しかし与える側はロボットではありません
感情を持つ人間です
自分の感情をコントロール出来なくなれば、愛する事もできません
そのためにはまず自分を愛する事が必要です
自分自身にも愛されたい気持ちはあります
嫌な言い方はされたくないし、雑に扱われたくもありません
そのため、自分のために嫌と思った事は言葉に出したり
時には自分を優先する事もあります
たとえ相手からの愛を感じなくとも、愛は自分自身にも与える事ができるのです
愛されたいが叶う事はない
シャチ子、今帰ったぞ
ご飯は?
シャチ子、皿洗い任せたぞ
俺はお金を稼いでるから、子育てと
家事はシャチ子の作業だよ
シャチ子、俺をおいてどこにいくんだ?
シャチ子。。?
愛されるために、お金を稼いだり容姿を磨いたとしても
一時的に愛を得たように感じるかもしれませんが
それは条件付きの優しさであり、愛ではありません
先程述べたように、愛する行為には理性と勇気が必要です
愛されたい人は自分のいいところではなく
自分のどうしようもないところも含めて
受け入れて愛してほしいと感じています
しかし、矛盾しているようですが
無条件に与えてくれる人などいません
人には感情があります
自分の感情を無くしてロボットのようになり
目の前の相手に与え続けることなど出来ないのです
そのため、無条件に愛してくれる人を求め続ける事は
お互いに苦しくなるだけです
愛は自分自身から芽生え始める
相手を愛する事に感情は必要ありませんが
自分を愛する時は必要です
自分はどうしたいか、何が嫌で何が好きなのか
自分の中にある心に耳を傾けて、理性と勇気を使って愛する事ができます
嫌なことはしない、どうしようもない自分を受け入れる
そこに他者の介入や常識、普通が存在してはいけません
自分の心に従って行動に移す、言葉にする
そうすることで、自分自身との信頼関係を気付き、愛していくのです。
好きは感情で行動しますが、愛するとは理性と勇気を使って行動します
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