MENU
カテゴリー

[自分が嫌いなあなたへ]変わりたいけど変われないときに読む日記③

私の考え方が変わるきっかけとなる高三になる前の春休み~第三章~

昨日学校で春季講習休んで、今日まで30時間ほど寝てただろうか

その間ご飯食べたりしてたけど、眠くない時がなくて今日お昼12時に起きてやっと普通の体に戻った気がします

それくらい私はストレスに弱いというか、ストレスを受けやすいみたいです

今日うわばきを取りに学校へ行くだけのつもりでしたが、1時から春季講習の振替なの知らなくて

友達にLINEして行くはめになりましたが

そんな登校中のバスの間に気づいたことがあった

私は最近、人は話し合いをしなければ何もわからないことに気づいた

自分も相手も同じ立場だということに気づいた

そんなある日(今日)DJあおいさんのブログを見た

価値観の問題

人間関係も仕事も恋愛もうまくいかない人に共通しているのは何か

それは「見た目」

DJあおいさんによる「仕事も恋も 結婚も できない理由は〇〇〇のせい:DJあおいの結婚偏差値ノート33」一節を引用しています

ダメな人は見た目を過剰に気にする、どんなことも見た目のせいにする

その人がどんな努力をしてきたかを知ろうとせず

それを見て思った

私はその人の何を知った気でいたんだろうか

先生の話す志望校に合格した女の子の話を聞いて、その女の子は髪の毛ボサボサで、手におにぎり持って学校にきたという話

私はそれを聞いて、その子は見た目など気にしない楽な性格なんだと思った

でも実際その子がどんな思いで勉強に励みどんな意思で見た目を捨て、どんなふうに努力してきたかなんて何も知らないじゃん

どうして楽な性格だと思ったの?どうしてその子だからできたと思ったの?

やっぱり自分が傷つかないためにそう考えて自分を守ることに精一杯だったからじゃないの?

私は何も知らない

その子の性格だって知らないし、歩んだ過去だって知らない、先生のことだってわからないことばかり

何も知ろうとしてこなかった結果が今の自分でしょ?

私は相手が自分にないものを持ってると、ただ羨ましく思うばかりだった

その人がどんな思いで手に入れたかなんて知ろうともせずに

そんな自分の子供な性格にやっと気づいた

まだまだ気づいてないことがあるだろうけど、でも知れてよかったじゃん

今まで自分がわからなかった

どうしてこんなに辛いのか、なぜみんなと違うと思ったのか、自分という性格はなんなのか

自分でもわからなかった

でも少し今日知れた気がする

自分が「ガキ」だったということ

自分がガキだったと知ったけど、別に自分のこと嫌にならないよ

ガキの自分も、まぁいいんじゃない

今、知れてよかったと思えよ

自分が知りたかったことにやっと気づいたんだ、これからだろ?

人はいい意味で対等でないと、いつか壊れてしまう

受け身だったり劣等感を人から感じると、それはストレスになってしまう

人は対等だ、対等でないと成り立たない

対等だからこそ、お互いが同じ環境にいることができる

そう、人間一人一人が対等なのである

誰かにハンデがあるわけではない、最初から優劣が決まってるわけでもない

人は対等を忘れてしまった瞬間不安になる

人は対等である

その自覚が心に根付くには多分、少なくとも1年はかかると思う

それでも、戦えますか?変わるためにその意思を、考えを忘れずに持ち続けることはできますか?

それを自分の意思で持ち続けるのはきっと大変かもしれない

それを考えなくとも、自分の心に根付くまでは辛いかもしれない

それでも、諦めずに持ち続けることはできますか?

最低でも1年は必死で、その考えを抱えながら生きていくことができますか?

私ならきっと、できますよ

自分が壊れないように自分を守るのではなく、変われる勇気がありますか?

自分を守るという考えではこの世の中では生きていけない

それは絶対そう思う、実際に私が証明してる

自分が変わった時の未来像はすでに持っている

それはなんでもできて、全ての人に好かれる自分像ではない

間違えることだって腐る程ある

でも、それが自分にとって悪いことなんて思わない

人に否定的に思われることだってある

でも、それは変われた証拠であり、ていうか案外嫌われないものである

つまり、自分が変わった時の未来像は、自分が幸せであること

それだけなのである

きっとできるはずだと思いますけど、きっと学校が始まったらなんでできると思ったんだよぉぉぉて泣きたくなると思う

ふつうはきっとそうだと思う、今までだって変わりたいって泣き続けて変われなかったんだから

それでいい、ちゃんと変わってる

辛い時は泣けばいい、変わりたいなんて思わなくていい、辛い時は寝ればいい

人生なんてそんなもんだから

今まで、幸せになりたいなら人に嫌われるのを恐るなと聞いて、私はそれを否定してきた

人に気を遣い、目立たないようにして人に嫌われることはほとんどなかった

それでいい、そのままでいいと思っていて、それの何がいけないの?と思っていた

でもそれではいつか限界が来る、壊れてしまう日が来るということを知らなかった

実際壊れそうになって初めて、それが自分を苦しめていたことに気づいた

誰かにどう思われるかじゃない

自分のために自分に寄り添って、自分の気持ちにともなって行動してあげる

実際辛かったはずなのに、どうしてそれを辞めようとしなかったのだろうか

この1年間辛い時、辛い日このノートに辛い感情を書いてきた

それで、その時のストレスは軽減されるかもしれない、頭は整理されるかもしれない

でもそれだけでは解決しない、それで次の日変わることはない

その辛い感情があった時、それはどのくらい辛かったのか、なぜ辛いと思ったのか、その原因がなんなのか、どうしてそのような感情になってしまったのか

そこを自分で一緒になって考えていかないと何も変わらない

微々たる不安でも、微量の辛いと感じることも決して目を離してはいけない

そこには必ず理由があるからだ

そこを自分が納得するまでは、最後まで一緒に考えてあげなければならない

そこには必ず不安になる自分なりの原因が心にあるはずだからである

そこを一緒になって見つけ出してあげなさい

自分の心の原因を一緒になって探すのだ

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

ブロガーを目指す無職。
心と向き合う自己啓発、知らなかったお役立ち情報を投稿。
得意な事: ストレス管理。人間関係に壁を作る。
mbti診断:INTJに近いINFJ

コメント

コメントする

目次