私の考え方が変わるきっかけとなる高三になる前の春休み~第二章~
私は最近ふと、友達に恵まれていることに気づいた
私の友達が全員いい人なのはもちろんのことだが、気づいていないところで好かれていた理由があったのかな
それは、弱みを話すこと
自分の弱みを友達に話すことが多くなった
たまたま話しやすい友達がいたのだが、その子も私と一緒にいてさほど悪いようには感じない
信用してくれていると思う
私はたくさんの弱い部分がある
でも、それを友達に話すことが人よりも多い
だから、友達にとっては私はわかりやすい存在だと思う
そんな弱いけど正直な私だからこそ、素敵な友達の関係があると思う
でも、自分の話をネガティブには話さない
本当に深刻な時は、相談する程度にまじめに話す
会話として話してた部分もあるけど、ネタとして友達に笑ってもらおうと思うくらい普通に自分の弱みを話す
それくらい私も友達を信用してる
友達の話を聞いてあげる時は興味を持って、寛容にね
神経質が増していってるような時、全ての人の言葉を受け入れたくない時
聞く余裕がなさすぎて、いっそのこと言葉をシャットダウンしようとしたが
そうすればそうするほと意識が強くなる
そんな人生の大大大ピンチなとき
その場で、ある秘策がよぎった、前にもやったような気がする
それは話している人の言葉を心の中でオウム返しすることだ
言葉に反応する前に、どんどん心の中でその人の言葉をそのまましゃべる
そうすると10分
神経質な心が一気に戻った
そうして1時間の授業が終わったのである
帰り道、私はあのとき対策を思いついていなかったらどうなっていただろうと考えると恐ろしく怖い
そしてふと神様が降りてきて私を救ってくれたのだと感じ、神にありがとうと何度も感謝をした
先生も、友達のように同じ立場であると気づいた
本当にそう考えるのなら、挨拶もきっとできるのではないか?
先生だから挨拶をするのが怖い、めっちゃ勇気いると考えていたけれど
友達に対してとなると、友達も私に不安を持っているのだから、私から挨拶しようとか思うことがある
挨拶して、返さない人はほとんどいないし、いても気づいていないだけだ
それについて落ち込むこともない
でもそれって先生も同じではないでしょうか
先生だから強いだの圧が強いだのは私の勝手な妄想である
先生も友達も考え方はきっと変わらないのでは?
だってさ、男子とかって私に話しかけられなそうだし
まぁ、話しかけたいとも思っていないか、、
私と友達になった子に後で言われた言葉がある
まじめだから話しかけにくい、嫌われてるかと思った、おとなしい
そんな言葉をもらうのである
でもとくに何も考えてない人に対して私は普通に話しかける
そうなるとやはり私への印象が変わるようだ
先生だって近くにいる友達となんの変わりもない
つまり、私には適応能力がないと思っていたが、それも私の思い込みなんだと思う
先生みたいな性格の友達がいると考えれば、対処法を知っているはずでは?
だって今までどんな変わった人たちも、私が緊張しない範囲ではほぼ全員に好かれていたはずだ
それは自分が、その人の適応する人に無意識になれていたからだ
自分がその人の相手に合うように、いつも振る舞ってきた、ふるまってこれた
時には違和感に思われることもあったけど笑
だからこそ、先生という思い込みでその人と合わないだの、相性悪いだの、苦手だのは勝手な思い込みである
私なら絶対、対等になれる
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